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昭和40年
誕生
大阪?茨木の地に
西日本初の体育大学が誕生
大阪体育大学が1965年、西日本初の体育大学として開学するまでには、様々な変遷があった。浪商学園の野田三郎理事長は当初、経済系大学の設立を念頭に置いていた。しかし、旧知の間柄でアムステルダム五輪棒高跳び6位入賞の中澤米太郎岸和田市長から大阪になかった体育系大学の設立を助言され、東京五輪選手強化対策本部長の大島鎌吉氏、東京大学教授で日本体育学会創立メンバーの加藤橘夫氏を紹介された。野田理事長は経営学部と体育学部を設置し、名称を「大阪産業大学」とする考えだったが、文部省(現文部科学省)から設置学部の内容と一致しないとして再考を促された。野田理事長は大島、加藤両氏に教えを乞い、「産業体育」への理解を深める。生産、社会の部門に出ていく学生を育成することで体育を通じて経済に貢献できると考え、設置学部を体育学部に絞り、名称を大阪体育大学に変更した。
大阪体育大学は1965年1月25日に大学設置認可を受け、4月25日に入学式を挙行。大阪府茨木市のキャンパスに1期生87人を迎えた。