本学客員教授?山本篤選手が現役引退会見 「すごくいい陸上人生を歩んでこられた」

 本学卒業生で客員教授も務めるパラ陸上男子の第一人者、山本篤選手(新日本住設所属)の現役引退会見が27日、神戸市内のホテルで開かれ、山本選手は「すごくいい陸上人生を歩んでこられた」と語りました。

山本篤客員教授引退記者会見の様子

記者会見の様子

 山本選手は26日朝、自身のSNSで「本日をもって競技を引退します」と報告していたもので、今日の会見で、現役引退を改めて発表しました。

 山本篤選手は静岡県掛川市出身の42歳。高校2年の時のバイク事故の影響で左足の大腿部を切断しました。高校卒業後、義肢装具士を養成する専門学校に進学。競技用義足に出合い、陸上競技を始めました。本格的に競技に取り組もうと、2004年に大阪体育大学体育学部に入学し、陸上競技部に所属。2008年にはスズキに入社。同年の北京パラリンピックの走り幅跳びで銀メダルと、日本人の義足の陸上選手として初めてメダルを獲得しました。2016年5月の日本選手権では6メートル56を記録し、当時の世界記録を更新。同年のリオパラリンピックでは走り幅跳びで銀メダル、4×100mリレーで銅メダルを獲得。2021年の東京パラリンピックの走り幅跳びでは、自己ベストを更新するジャンプで4位に入賞するなど、パラ陸上男子の第一人者として活躍してきました。

 25日に閉幕したパラ陸上の世界選手権では、走り幅跳びで5位入賞の成績でした。山本選手は「可能性がある限りチャレンジし続けるという信念でここまで活動してきたが、自分の中でその可能性が見えなくなってしまった。もう少し続けたら記録は伸びたと思うが、伸びたところでどこまでいけるのかと考えた時に7メートルは見えなかった。自分に嘘をつきながら陸上をやっていても楽しめないと思ったし、プロアスリートとして世界のトップでやり続けてきたからには、世界のトップで居続けなければいけない。そういう意味でも、この状態のまま戦うことは厳しく、このタイミングでの引退を決意した」と経緯を説明しました。

「すごくいい陸上人生を歩んでこられた」と山本選手

「すごくいい陸上人生を歩んでこられた」と山本選手

 また、山本選手は陸上競技を始めてからの22年間を振り返って、「陸上は人生を楽しくする遊びだった。楽しく遊んで、いろんな人に応援してもらって、すごくいい陸上人生を歩んでこられたのかなと思う」と語りました。今後の活動については、指導者として世界で勝負できる選手を育成することやパラスポーツの認知度向上をめざす活動を行うこと、ゴルフに取り組むことなどを挙げました。

 会見では、大学時代のエピソードなども披露し、「最初のパラリンピックをめざした時、ギリギリのところで代表に選ばれず、悔しい思いをした。そこから大学4年間をかけて、選ばれるのではなくて、選ばざるを得ない選手、メダルが取れる選手になろうという思いで、トレーニングに励んだ。恩師との出会いがここまで僕を強くしてくれたし、長く陸上をすることにつながった。恩師の言葉を心に留めて、これからも活動していきたい」と恩師への感謝の言葉も述べていました。

山本篤客員教授恩師への感謝の言葉も

恩師への感謝の言葉も

山本篤客員教授数々のメダルとともに

数々のメダルとともに