阪神甲子園球場でアナウンスを務める佐々胡桃(くるみ)さんは、入社5年目の今年の夏の甲子園で延長11回8‐7の激闘となった準々決勝、県岐阜商対横浜戦を担当した。球史に残る2時間42分の熱戦を「アナウンスは冷静でなければならないのですが、入社5年目で初めて、試合後に涙が出そうになりました」と振り返る。
ガラス越しのエースの笑顔に鳥肌
延長十回表。横浜はタイブレークの無死一、二塁から、エラーと阿部葉太選手(3年)のタイムリーで3点を勝ち越した。その時、佐々さんは放送室のガラス越しにマウンドのエース柴田蒼亮投手(2年)の笑顔が見えた。鳥肌が立ったという。「あの場面でエースとして、みんなを奮い立たせるように笑っていました。笑顔でチームを鼓舞できる精神力のすごさというか、本当に17歳なのかと思いました」
試合は一回表、生まれつき左手の指がないが実力でライトのレギュラーの座をつかんだ横山温大選手(3年)がファインプレーを演じるなど、息詰まる熱戦となった。
場内アナウンスは冷静に務めることが重要とされる。佐々さんは他の試合と同様に、入れ込みすぎないように淡々とアナウンスした。
しかし、あのエースの笑顔を見て、気持ちが高ぶったという。「タイブレークに入り、球場全体も緊迫したムードの中、選手たちのプレー姿に感動してしまった」。以後は、「考えないように、(選手の表情を)見ないように」と思いながらアナウンスした。
試合は十回裏、県岐阜商が3点を挙げて追いつくが、横浜は九回に続く内野5人シフトを敢行して追加点を阻む。十一回表は0点。その裏、県岐阜商が4番?坂口路歩選手(3年)のタイムリーでサヨナラ勝ちした。
佐々さんはゲームセットの時、手が震えていた。校歌斉唱で「〇〇高校の栄誉をたたえ、同校の校歌を演奏して…」とアナウンスする際には、いつも「栄誉をたたえ」の言葉に気持ちを込めてアナウンスすることを心がけているが、この試合では、試合の緊張感が解けないままだったという。
「スポーツを支える側に」とマネージャーに
佐々さんは静岡県浜松市出身。アスレティックトレーナー(AT)を目指し、ATの受験資格を得られる大阪体育大学に入学した。高校時代はバレーボール部だったが、大学ではスポーツを支える側に回りたいと思っていた。野球観戦が好きだったこともあり、入学前、野球部のツイッター(現X)に「マネージャーになりたい」とDMを送り、当時は女子として唯一のマネージャーになった。会計のほか、アイシングの氷、プロテイン作りからおにぎり作りまで任された。
1年秋からアナウンス
阪神大学野球リーグの場内アナウンスは、所属チームの女子マネージャ―が当番制で担当する。佐々さんは1年秋から務めた。最初は詳しい野球のルールが分からず戸惑ったが、次第に慣れたという。大学2年の2019年春、大体大の優勝決定試合のアナウンスを偶然担当した。この試合で、緊張感の中アナウンスをやり通せたことで自信を持てたという。
3年生のころから、将来の進路として野球場でのアナウンス業務を考えた。ただ、どこの球場も定期的な採用はなく、企業への就活も始めていた4年生の6月ごろ、阪神甲子園球場がアナウンス担当を募集していると阪神大学野球連盟の関係者から聞き、すぐに応募。3回の面接を経て内定を受けた。
佐々胡桃さん。阪神甲子園球場バックネット裏の放送室で
阪神園芸に助けられ、高校野球初アナウンス
阪神甲子園球場のアナウンス担当は、現在、入社2年目から約15年までの6人。下積みから段階を踏んで、タイガースと高校野球を担当する。
初めて高校野球を担当したのは、入社2年目の2022年センバツだ。自分の担当試合は第3試合だったが、雨のため第1試合から開始時刻が遅れた。自分の試合ができるかどうかそわそわして待っていたが、阪神園芸の整備のおかげもあり、無事試合を行うことができたという。
選手名のアクセントは野球部長に確認することも
高校野球では、バックネット裏の放送室に、アナウンス担当、スコアボードの操作担当、ボール?ストライクのBSO担当が入る。第1試合のアナウンス担当は、午前6時に出勤。発声練習をし、スタメン表が届くと事前に届いているメンバー表で氏名に相違がないか照合し、スコアカードに控え選手も含めて名前を記入する。
選手の読み方のアクセントは、阪神甲子園球場での過去の読み方をまとめたデータ集を参考にチェックする。分からない場合はチームが待機している室内練習場に行き、野球部長にじかに確認する。
甲子園の放送の伝統
高校野球とタイガースでは、初打席の際に、高校は名前を2回言い、プロは名前の後に背番号を付けるなどの違いはあるが、アナウンスの仕方は同じという。一方で甲子園の放送の伝統があり、例えば高校で「鈴木君」とアナウンスする時は名前を目立たせるために「くん」の音を下げる。「6人のアナウンスが6人とも同じように聞こえることがベスト」とされる。佐々さんは「ファインプレーの後はスタンドが盛り上がっているから、状況によっては次のバッターのアナウンスを試合進行の妨げにならない範囲で、少しだけ待つなど、様子を見ながらアナウンスできるように考えている」と話し、ほんの少しの間にも試行錯誤を繰り返している。
そんな佐々さんについて、阪神甲子園球場?上野正人副球場長(運営担当)は「声が聞きとりやすく、毎回落ち着いてアナウンスしていて、頼りがいのある仕事をしている。甲子園の伝統を守るために、日々、勉強、練習している」と話す。
甲子園の歴史をつなぎたい
甲子園球場は昨年、開場100周年を迎え、今年は次の100年に向けての一歩を踏み出した。県岐阜商対横浜は球史に残り、アナウンスの声もいずれ歴史の一部になるかも知れない。佐々さんは「毎試合毎試合が必死なんです。でも、変わらずにいることはすごく難しいが、先輩方がつないできた歴史を自分たちもつないでいきたい。伝統を守っていくことがやりがいです」と話す。
スポーツにはすごい力
佐々さんは「スポーツはすごく自分の力になっている」と語る。バレーボールを高校で終え、大学では野球部マネージャーという新たな道に打ち込めたのも、「高校でバレーボールに一生懸命打ち込めた」という達成感があったからだ。「体大に来る人たちはこれまで一生懸命、スポーツに打ち込んできた人ばかり。競技を高校まででやめたとしても大学で続けたとしても、体大生には、スポーツの力という強さがある。自信を持って夢に向かってほしい」と後輩にエールを送っている。
(2025年9月 取材)
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