筆者:手塚洋介(スポーツ科学部教授)
1.われわれはなぜスポーツに惹かれるのか
2024パリオリンピック及びパラリンピックが閉幕しました。こうしたビッグイベントがあるたびに思うのは,なぜわれわれはこれほどまでに卓越したアスリートに惹かれるのかということです。いわゆるファン心理について,私はずっとこの問いを持ち続けているのですが,いまだよく分かりません。私が専門とする心理学の観点からいくつかの答えを見つけることはできますが(例えば、卓越した技能を目にすることができるとか、自分を選手と同化させるからとか)、最近読んだ本を通じて核心を突くような答えに出会った気がするので、本コラムで皆さんに投げかけてみようと思います。
2.北極冒険家の言葉
私は最近、北極冒険家の荻田泰永さんの本を数冊読みました。北極での冒険は私の人生では選択肢になりえないあまりに非日常的(非現実的ともいえる)活動で、それゆえに、自分では成すことのできない荻田さんの活動を知って強い関心が芽生えました。荻田さんの活動の様子は割愛しますが、彼は「探検は知的情熱の肉体的表現である」という先人の言葉を引用し、この知的情熱を「見たい知りたい経験したいという至極単純な個人的動機」と解釈することで、自身の冒険観を述べています。圧倒的な情熱によって、文字通り生命の危「険」を「冒」すことを厭わない荻田さんに対して、私は敬服の念に堪えません。同時にこの言葉は、私が荻田さんに惹かれることと多くの人がトップアスリートに惹かれることの共通性を巧みに言い表しているように感じました。
3.人々を魅了する情熱
先の言葉ですが、冒頭を「探検」から「スポーツ」に置き換えても何ら違和感はありません。この言葉を借りれば、身体機能や技能を究極まで高められたトップアスリートのパフォーマンス(肉体的表現)は知的情熱によって支えられているといえるでしょう。われわれがトップアスリートの卓越したパフォーマンスに魅了されるのは、様々な競争を勝ち抜くに必要な膨大な熱量が存在するからではないかと思うのです。到達困難な道のりを歩むための圧倒的な情熱があるからこそわれわれはアスリートに魅了されるというのが、最初の問いに対する私の今の答えです。皆さんはどのように思われますか。
4.学生の情熱への期待
最後に、オリンピアンなどのトップアスリートでなければわれわれは魅了されないのでしょうか。大学のクラブ活動等に打ち込む学生アスリートでは人々の心を動かすことはできないのでしょうか。答えは否でしょう。私の愛読書のひとつに増田俊也さんの「七帝柔道記」があります。北海道大学柔道部を舞台とする著者の自伝的小説ですが、本書最後の解説において引用されている角幡唯介さんの書評が、学生アスリート(といってよいか学生柔道家というべきか分からないが)が持つ熱量の大きさを端的に表しています。
―この読んでいて苦しいほどの物語を支えるのは著者の柔道に対する熱い情熱だ。(中略)人生にはたった一つだけ信じることのできるものがある。それを見つける若者の物語かもしれない―
本学に入学後は、ぜひ圧倒的な情熱をもって文武に励んでください。本物の環境の中で、自身の力を伸ばすことに全力を注いでください。そのような学生は多くの人を魅了するに違いありませんし、本学の宝になるはずです。
【参考図書?ウェブサイト】
荻田泰永(2019)考える脚 北極冒険家が考える、リスクとカネと歩くこと KADOKAWA
荻田泰永(2023) 北極男 増補版 山と渓谷社
増田俊也(2017)七帝柔道記 KADOKAWA
「ジャパンタイムズ」記事記事(五輪日本代表選手の感情について取材に回答)
日本感情心理学会大会記事記事(アスリートの感情についての特別講演?シンポジウムを企画)
BACK
社会貢献?附置施設
BACK